すみれ(菫)

吉本隆明/詩/大正炭鉱闘争/共産主義者同盟叛旗派/

なぜわたしはあの(この)ような幻想(ファンタスム)過程に入る(入っていた)(入っている)のか。

わたしの当時の<天皇のため>には、天皇個人の人格がどうであるかという問題は含まれていなかった。また天皇が現人神であるということを、科学的には信じていたわけではない。ただわたしにとって、ひとつの<絶対感情>がありさえすればよかったのである。……わたしが戦後にかんがえてきたことは、三島由紀夫とは逆であった。いかにしてこの宗教的な絶対感情の対象であった天皇(制)を無化しうるかというところにわたしの関心はおかれた。……おそらく、わたしの<国家>観や<天皇>観は、戦後期の十代おわりから二十代はじめの年齢にあった青年としては、平均的なものであったとおもわれる。そしてこの<平均>的というところから出発して、いかにして<国家>や<天皇(制)>を無化しうるかという過程を明示することが、わたしにはもっとも本質的な思想課題のように思われたのである。すくなくともわたしにとって、ごく平均的な思想的感性から出発して、<国家>や<天皇>の存在を無効にする方法をしめしえなければ、どんな思想を知識として獲手しても無意味であると思われた。」(「天皇および天皇制論」1969)

 

これを読んで、吉本がやりたいと考えていたことは私が今思っていることと本当に合致していると思った。「なぜ......なのか」ということを、自然や科学ではなく、人間や、人間によって構成されている社会というものに適応したとき、あらゆる幻想過程の起源というものを解明したくなることを直視しないのはほんとうではないと思う。