2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧
『言葉にとらわれた身体 現代ラカン派精神分析事例集』(エレーヌ・ボノー著、誠信書房) 精神分析における「話存在」と身体とについて、綺麗に解説されていた。 「ラカンの理論において話存在というシニフィアンが考案されたおかげで、無意識と身体をとらえる…
他人の言葉を違和感なく使うこと。 本当に伝えたいことがあったとき、何か話すたびに、何かが違うと違和感を覚えてしまうことはないか。 吉本隆明は、他人のものである言語において、本当に言いたいことを言おうともがくことについて、言語によって考えた。 …
"大学のディスクールはある意味で主のディスクールをいっそう強固なものにする"(ピエール・ブリュノ,『精神分析の再発明』p.302より又引き) 学生らの過激なまでの自由の欲求がネオリベラリズムとして回収された五月革命が生み出した大学のディスクールは、「…
『吉本隆明 詩人の叡智』(講談社学術文庫,2015,菅野覚明)という本を読んだ。吉本隆明の思想はなぜ掴みにくいのか、一般的な人文学の感覚からしてどういう点で特殊なのか、どのような意味で偉大なのかということが明確に言語化してあり、非常に秀逸な本であっ…
竹内芳郎と吉本隆明の論争の大枠がだいたいつかめてきた。これは、50年近く前の論争を今振り返ってみて言えることだが、竹内芳郎のある本のページを読んで、どうも何やらおかしくなってしまい笑ってしまった。 ↓竹内芳郎『イデオロギーの復興』p.86,87 竹内…
『フーコー・コレクション4 権力・監禁』(ちくま学芸文庫)に収められている「知識人と権力」と、「人民裁判について—マオイスト(毛沢東主義者)たちとの討論」が素晴らしい。なされていることは、まさに<革命(運動)の革命>である。 ひとつめの「知識人と権力…
人間は一方で権利を有し、他方で義務を有するというのは意味をなさない。権利や義務といった語は観点の相異を示すにすぎない。このふたつの語の関係は客体と主体の関係である。個としてみた人間にはもっぱら義務しかない。そして、その義務のなかにはその人…
「しかし『遠野物語』の<予兆>譚が語っているのは個体の幻想性と共同の幻想性が逆立する契機をもたないままで接続している得意な位相である。これはおそらく常民の生活の位相を象徴している。」(『共同幻想論』) 常民の個人幻想は共同幻想と逆立せずに接続し…
吉本隆明で、さしあたり読むべきものがあるとしたら、『共同幻想論』でもなく、『言語にとって美とは何か』でもなく、まずは「前衛的コミュニケーションについて」(1961,『吉本隆明全集6』に収録)だ。当時の革共同を頭とする「前衛」主義者に対する完膚なき…
「わたしの当時の<天皇のため>には、天皇個人の人格がどうであるかという問題は含まれていなかった。また天皇が現人神であるということを、科学的には信じていたわけではない。ただわたしにとって、ひとつの<絶対感情>がありさえすればよかったのである。………